無造作な窓

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RICOH R10

 おそらく隣のビルがなくなって露出したんでしょうな、このバラバラ感。
 しかし上階の中庭感は凄いな。贅沢な作りだ。

 産経新聞で曽野綾子が「いじめという人間の浅はかな行為が、この世からなくなることはないからだ」と書いた。
 道徳教育や人権教育が「はいはい仲良くすればいいんでしょ」「差別はダメなんでしょ」と生徒つまらなさそうにのたまうだけで全然授業を聞かないくなるのはなぜこんなことをしているのか教員を含めて多くの大人がイマイチその目的を理解をしていないからだと前々から思っている。

 差別やいじめはなくならない。

 まさにその通り。
 学校のいじめが問題になっている。
 「いじめをなくせ」と大人はいう。
 で。
 いじめのない社会や会社なんてあるのか?と思う。
 未熟な子供に教えこんで達成できるのなら、まずは立派な大人がなくしてみろ、と思う。

 こういう教育や行為の目的は「なくすこと」ではない。
 「人間はちょっと油断するとそういうダークサイドに囚われてしまう可能性があることを十分に認識し、そして常にその弱い自分の心と向き合い、戦い、学び、自分の心を強くすること」が目的だと考えている。
 その先に、いじめのない社会に近づく道筋があるのではないかと思う。

 ま、大津の教師には全くない視点だったんでしょうけど。
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"いじめ"なんてどこにもありませんよ

ご無沙汰しております. Mizritです.

私が思うに,"いじめ"なんて行為はどこにもありません.

それらの多くは"いじめ"ではなく「犯罪」なのです.

"万引き"という罪は存在せず,それは窃盗罪なのです.

"いじめ"という都合の良い言葉を教師が使っているかぎり,
生徒間の暴力犯罪はなくなりません.

不真面目な言葉遊びはやめましょう.
これは,教師や社会が考え直すべき課題です.

ご無沙汰です。

Mizritさん、コメントありがとうございます。

私は、暴行、恐喝、監禁などそれらを全てひっくるめて「いじめ」と捉えています。
窃盗や恐喝などそれらすべてを「犯罪」と呼ぶのと同じだと考えています。
いじめという具体的行為がないのはあたりまえだと思います。

ただ、これら表現では表現しにくい、巧妙な行為も含めたい、という意味もあるのではないかと思います。大人の世界では犯罪行為にあたるものばかりなら(例えば暴力行為、窃盗などなど)その名称で指導すべきでしょうが、なかなかそれだけでは捉えられないものもあるのです。

暴力犯罪だけがいじめではないのです。非常に微妙で巧妙ないじめが考案され、進行していることが想定されるのが現代の教育現場であり、学生の性根なのです。

「これっていじめじゃないですよ、注意です」
「遊び半分です」
という生徒の言葉に対して
「いや、それはいじめだ」
と明確に示し、指導対象にする意図が込められていると考えています。

「いじめ」が都合のいい言葉であるというのは同意見ですが、私は否定的に捉えておらず、犯罪行為とまでは言えない「いやがらせ」に分類されるようなことがらも強く指導対象にしたいがために「いじめ」という拡大解釈できる「都合の良い」言葉を使っているのだと認識しています。

窃盗を万引きとなぜ呼ぶのはか全く意味不明で、むしろなくすべき言葉だと思います。

Mizritさんがどういう意図で「"いじめ"という都合の良い言葉を教師が使っているかぎり,
生徒間の暴力犯罪はなくなりません」とおっしゃっておられるのかよくわかりません。例えば窃盗や暴行をいじめと置き換えて表現をゆるめたり、表現のキツさを緩めている、とお感じなのでしょうか?教員側がそんなことをするメリットはあるのでしょうか・・・・?
大津の問題の関係者に関して言えば、そうやって指導を回避してきたのかもしれませんね。

でも、多くの教育関係者はいじめと真剣に向きあって戦っています。
決して自分たちの都合で不真面目な言葉遊びをしていることはないと思います。
    
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迅

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E-1にはプラナー50mmがよく似合う(ピント合わないけど)。

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