ポポンS

RICOH R10
明日のために今日ものむ
そうか。なるほど。
先日、義理の祖母がなくなりました。
そしてお通夜。
翌日お葬式。
自分はどうしても仕事で出られず、子供らと嫁が参列。
お昼。
お弁当。高い仕出し弁当だったらしい。
が。
冷たい。
室温ではなく冷蔵庫温度。
もう冷たすぎて食べられなかったそう。
仕出屋がごはんは持ってきて、天ぷらのつけ汁だけはポットで持ってきたそう。
ところがとにかく冷たくて、もう美味しい不味いという話ではなかったそう。
これが1食5000円はくだらなかったと。
こんなことなら、近所のちょっと高級な和食料理の店でよかったのではなかったか、という話が出た。
ところが、すでにそう考えた人がいたらしく、喪主(亡くなった人の長男)が、がんとしてそれを認めなかったたらしい。
どうやら、お葬式の昼食はそこの仕出し屋に頼むのがこの辺りの風習で、そうしなかったら笑いもの(ケチった的な)になるらしい。
そこには、美味しいか美味しくないかなどということは関係がなく、食べる人よりメンツが大事であるという価値観が優先している。
なお、喪主。弁当を残した(というかほとんど食べていない)子供らに「高い弁当頼んだってるのに!」と激怒していたそう。
なんだかなぁ。
本末転倒というのはこれかしら?
なんで人って、そういう生き方をするのだろうか?
年取ると、そういう人が多くなるのかなぁ・・・・
晩年の両親を本宅から横に立つ狭い物置小屋を改造した家に追いやり、同じ敷地に住む兄弟家族を追い出し、夫婦そろって両親の面倒を見なかった人らには、人間より弁当の方が大事だということなんだなあ、と改めて思った次第。
さあ、これから遺産相続でもめそうだわ。
やれやれ。
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ライティング
二重

RICOH R10
中に扉(見えない?)。
何かの店でもなさそうですが。
面白造りだなあ、と。
さて、世間では今言わないと損!というように昔の体罰を引っ張りだして教員叩きをしてますが。
星野現楽天監督のコメントが。
『体罰だ! いじめだ!』と言うけど、選手なんかは指導者から言われるうちが花やないか。それだけ親身になってくれているということ。このままじゃ指導者はどんどん“事なかれ主義”になっていくぞ。何かあっても『私は関係ありませ~ん』だよ。
正直、少なくとも体罰するってことは現場に行っているってことですよね。
顧問とは名ばかりで、グラウンドに行きもしない教員が体罰するわけもなし。
もちろん、うっぷんばらしの可能性もありますけど。
さらに話は、いじめ問題にも及んだ。「一番怖いのは、いじめがあったことを生徒にアンケート取って、生徒たちが『いじめを目撃した』と答えていることだよ。なんで止めないんだよ。止めたら、いじめの標的になるから? じゃあ、みんなで一緒に、大人数で止めたらええやないか」
これ、同じような意見を前に書いた気が。
いじめが進んでいるときは完全に無視しておいて、事態が露見し、被害者が出たら急に「いじねがあった」と言い出す人間、本当に怖いわ。見て見ぬふりから正義面。何とも思わないのかしら。加害者以上にその心のあり方に戦慄するわ。
いじめによる自殺問題では、いじめに気づかなかった学校側の責任が問われる事例が多い。この点についても星野監督は首をかしげる。
「すべては幼児教育なんだよ。親が、ちゃんと教育せい! 学校にいるより、家にいる時間の方が長いんだよ? いじめない子供に育てるのもそうだけど、いじめられている側の親が子供の異変に気づかないのも問題。(親子の会話があれば)自殺は食い止められるんじゃないかな」
ま、これはさまざま。子供は気づかれまいとすることもあるからなんとも。
そういえば、紅白で話題になった美輪明宏の「ヨイトマケの唄」の一節でも、ヨイトマケの子と壮絶にいじめられたが、母親のがんばる姿を見て羽を食いしばってがんばったというのがあったな。
いじめなんて昔からあるわけで。いじめがひどくなったとも思えないし。
むしろ、「困ったことがあったらなんでも大人が助けてくれる(自分のせいではない、誰かが悪い)」という意識が強すぎる問題もあるような気がする。本人も親も。
自分もいじめられた経験あるけど、歯をくいしばったよ、ほんと。
それから、自殺を選ぶ際、勝手な想像だけど、辛いことから逃げる、ということだけではなく、加害者へダメージを与える攻撃的な意味を持っていないだろうか?そうでなきゃ例えば学校で飛び降りとか電車の飛び込みとか、目立った死に方なんてしないと思うのだが。
でも、残念ながら、加害者にはさほどのダメージを与えられていないのが実情ではないだろうか?
そういう意味では自殺なんて割に合わないと思うよ。
だから、自殺考えてる人、やめたほうがいいよ。
上座

RICOH R10
あるいは主のように。
先日購入したmajestouch。
まあ、もう他のキーボードは今のところ無理。
職場用にもう一個ほしい。
どうしよう・・・・
しかし。
パソコン載せている机がペラペラなので音がうるさい!
恐らく夜に使っていると怒られるだろうなあ。
職場用は赤軸かなあ。
先日。
家内の祖母がお亡くなりになりました。
私自身は近年諸事情でお会いしていなかった(別にもめたわけではないです)のですが、子供はちょくちょく会いにいかせていました。
お通夜、お葬式。
子供心に感じることがあるのでしょう。
遠くに住んでいる甥も雰囲気が嫌だとお通夜の会場にも焼き場にも入りたくないと言っていたそうな。
また、「自分も死んだら焼かれるのか」とか「自分はお棺にあれを入れてほしい」とか、朝起きたら「自分はまだ生きているなあ」とか。
自分はこう思います。
良くも悪くも誰かが亡くならないとこういうことって学べない。
人間最後の役割って、「死」を学ばせることなのではないか、と。
他人はわかりませんが、少なくとも自分は死ぬ時誰かにこういうことを感じさせられればまあ、最後の役には立てるのかなあ、と。
逆に自分個人に悲しんでほしいとかはないのです。「人が死んだら悲しいでしょ。だから生きてるって凄いよね」と感じてほしいと思う。そしたら、まあひとまずやりきった感あるかなあ、と。